「本当の自分とは何か」
「自分の使命は何なのか」
多くの人が、この答えを未来に探そうとします。
理想のビジョンを描き、なりたい自分を設定し、そこに向かおうとする。
けれど私は、長く人の人生と向き合う中で、
人生の方向を決める決定的なヒントは、未来ではなく「過去」にあると考えるようになりました。
しかもそれは、誇らしい成功体験ではなく、
できれば思い出したくない「欠乏感」や「違和感」の中にあります。
この記事では、私がなぜ
「欠乏感こそが人生の羅針盤になる」と考えているのか。
3つの視点から整理してお話しします。
欠乏感は「弱さ」ではない|行動パターンを生み出した起点
私が最も重要だと考えている問いがあります。
「子供の頃、何が足りていなかったか?」
この問いは、性格診断や強み分析よりも、
はるかに深いところに触れます。
なぜなら、人は欠乏を埋めるために行動様式を作るからです。
愛情が足りなかった人は、人一倍頑張るようになるかもしれない。
認められなかった人は、成果で価値を証明しようとするかもしれない。
それらはすべて、生き延びるための戦略です。
問題は、この戦略が大人になっても自動再生されることです。
本来なら選択できるはずの行動が、
「そうせざるを得ない行動」になってしまう。
欠乏感は、才能の芽を育てる一方で、
同時に強力なメンタルブロックにもなり得る。
だからこそ私は、
欠乏感を「克服すべき弱点」ではなく、
構造として理解すべき起点として扱います。
欠乏がなかった人が、自分を見失う理由
一方で、こんな人もいます。
「特に不幸な子供時代ではなかった」
「大きな欠乏感は覚えていない」
一見すると、何の問題もなさそうに見えます。
けれど私は、ここにも別の落とし穴があると感じています。
欠乏がなかったことで、「自分の進化」を自覚する機会がなかったというケースです。
期待に応えれば問題なく進めてしまった人生。
外部の正解に沿っていれば、困らなかった人生。
その結果、
- 自分が何を求めているのかわからない
- 何をしても手応えがない
- 社会に出て初めて立ち止まる
という状態が起こります。
私は、これもまた一種の「欠乏」だと考えています。
欠乏とは、物理的な不足だけではありません。
「自分の内側から進化する機会がなかった」という欠乏もあるのです。
「嫌いじゃない」という言葉に、本音は隠れている
もう一つ、私が非常に重視しているのが、
人が無意識に使う言葉です。
特に注意深く見るのが、
「嫌いじゃない」
「悪くはない」
「問題はない」
という表現です。
これは肯定ではありません。
防衛です。
本当に自分に合っているものには、
人は「楽しい」「心地いい」「好きだ」と言います。
それを言えないとき、
人は社会性や常識で自分を納得させようとします。
「普通だから」
「みんなそうしているから」
「当たり前だから」
こうした言葉が増えているとき、
その人は自分の人生ではなく、誰かの理想を生きている可能性が高い。
私は、ここにも重要な羅針盤があると思っています。
なぜ私は「過去」を見るのか|未来は、すでに決まっているから
未来のビジョンを描くことは、大切です。
けれど私は、
未来はゼロから創られるものではないと考えています。
人が無意識に繰り返してきた行動、
避け続けてきた痛み、
言葉にできなかった違和感。
そこにこそ、その人が本当に向かう方向が現れます。
欠乏感は、あなたを縛る檻にもなります。
同時に、最も深い動機と才能の源泉にもなります。
私は、その両面を見ずに、
人生の方向性を語ることはできないと思っています。
まとめ|人生の羅針盤は、いつも内側にある
もし今、
- 自分がどこへ向かえばいいかわからない
- 頑張っているのに満たされない
- 選択に確信が持てない
と感じているなら、
未来を探す前に、過去に問いを投げてみてください。
「子供の頃、何が足りていなかったか?」
「何を我慢して生きてきたか?」
「何を“嫌いじゃない”で済ませてきたか?」
その答えの中に、
あなたの人生の羅針盤は、すでに存在しています。
