プロフィール

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基本情報

かお 46歳(2026年現在) 24歳息子と夫の3人家族

仕事

在宅フリーランス3年目(2026年)。現在は自己理解コーチとして、個性強み発掘、コーチング、キャリアサポート、SNS運用サポートを提供させていただいております。

(経歴)

2023年〜SNSスクールにてデザイン、ライティング、動画編集、コーチング、AI、マーケティングなどを学ぶ。

2024年〜WordPress制作、ブログ執筆、サムネ制作、YouTube編集、台本作成、LINE運用などを学ぶ。

2025年〜個性強み講座にて、個性強み、潜在意識、自己理解の統合を学ぶ。(ストレングスファインダー、ヒューマンデザイン、動物占い、算命学、数秘、手相などを網羅し、自身の強みであるヒアリングスキルを用いた独自のセッションを提供開始)

2025年〜BeautyJapanTokyoファイナリストとしての活動開始。ラジオ、TV出演、セミナー講師、表敬訪問などを経験。8/10銀座BASE GRANBELLにて東京大会出場。

実績

自身のインスタアカウント運用1ヶ月で個人事業主様のインスタ運用代行案件獲得。

SNSコミュニティ内ではキャリアコーチとして、これからWebスキルやマーケティングを学びたい方との面談を累計500人以上実施してきました。

私のアカウントがSNSスクールや渋谷のコワーキングスペースインスタアカウントで紹介していただきました。

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かおってどんな人?については、自己開示することを迷ったのですが、現在の私の原動力にもなっていることや、こんな私でも1歩踏み出せたんだということをお伝えしたいため、読んでいただけると嬉しいです。

自己肯定感0の性格が形成された過去

幼少期

私が5歳の頃両親が離婚。

父の記憶はない。写真もない。母に聞く勇気も私にはありませんでした。
母は働いていたのですが、祖母や祖父、従兄弟や叔母たちが側にいたのでそのまますくすく育つ。
8歳の頃、母の再婚相手との生活が始まる。
ここから私の人に気を使いながら生きていく人生がスタートします。

しばらくして弟と妹が生まれ、その頃には私は中学生。部活と勉強に1日のほとんどを使い、母と話す時間はほとんどありませんでした。

母に気に入られようと、学んでも学んでも満たされない承認欲求に無意識に苦しめられる学生生活を送っていました。

年子の姉に勝てないというコンプレックス

年子の姉はとても優秀で塾には通わず合格圏内の偏差値72の高校の進学は交通費がかかるとあっさりとやめ、徒歩圏内の偏差値63の公立高校に入学。

私はというと、早い段階で姉には勝てないと判断し、違う武器を探そうと模索していました。

その後、公立高校で制服がダントツで可愛いという理由だけでその高校を選ぶという大失態を犯しました。この時は将来のことなど一切考えていなかったのです。

高校卒業後、とりあえず一般常識が知りたいという理由だけで、秘書科の短大に進学。

秘書科の短大卒業後

私は短大在学中も、将来どんな職業に就くのかイメージが出来ず、ただ毎日平均より少し上の成績で卒業さえ出来ればいいだろうと考えて過ごしていました。

そんな短大1年生の夏、文化祭でクラスのアイス屋さんの当番で『モノを売ることの楽しさ』に気が付いてしまい、卒業後、OLを選ぶことはせず、百貨店に入るメンズビジネススーツのブランドに入社しました。

スーツはTシャツのように、お客様から『これ下さい。』と接客なしでは売れません。

お話をしないと、始まらないのです。

そして、スーツ、シャツ、ネクタイ、ベルト、シューズ、ベストなどセット販売出来ると総額10万円は超えてしまうような商品なので、1件の対応には1時間以上かかることもありました。

そこで、私の初めましてのお客様にも怯まない営業スキルが磨かれたと思っています。

社会人2年目となり、仕事にも慣れ、店長への挑戦を目標に奮闘している中、子供を授かり夫の希望で退職することになりました。

デキ婚で出産。無謀な新居購入。そして専業主婦へ。

息子が6ヶ月の時に、購入した新居での生活が始まる。

なぜそんなことになったかというと、妊娠中に夫が会社の上司と同じマンションの購入を打診してきました。

私は出産に集中したい。義父母の近くにいて、子育てを手伝って欲しい。収入の柱が1人は不安。夫の兄弟は皆持ち家、義父母のこと誰が支えるの?そんな理由で反対したのですが、そのまま購入することになりました。

実母と義父母、夫の手伝いなしの生活。

夫は9時出勤帰宅が0時。休みは不定期。私は6ヶ月の息子と友人も近くにいない、知らない街での子育て期を過ごしていましたが、若さと行動力でなんとか楽しく育児をしていました。

息子を保育園に預け仕事を始める

母も姉も子育てをしながら働いていたので、私も働きたいと思い、息子を無認可保育園に預け、不動産会社のパート勤めを始めました。2年ほど勤めると、義理の兄が起業し、それを手伝うことになりネットショップの運営補助として在宅勤務が叶いました。

ワンオペだったこともあり、土日はサッカーの応援で毎週参加。私が母にしてもらいたかったことを息子にすることで、自己肯定感を上げていました。

母の病死、行方不明の実の父の死。

息子が小学校4年生の頃、母の病死、その数年後に行方不明の実の父の死。

母は若くして子供を授かり、子育てが落ち着くこともないまま、孫が出来て、それはそれで楽しそうに暮らしてはいたのですが、おそらく本当にやりたかったことは出来ていなかったのではないかと思います。

なぜなら、母は一人の女性としての自由は手に入れていなかったからです。

母は母であること、妻であることを優先していたからです。

私と姉は母がしたかったことを私たちが叶えると心に決めました。

そして、数年後突然の手紙。実の父の死を知らせる手紙でした。

なんの記憶も残っていなかったのですが、後から父は離婚後再婚もすることなく生きていたことを知り、ひょっとしたら、私たち愛されていたのかな…こんな風に思いました。

子育てと仕事の両立に悩まされる日々

子供が中学生くらいになるまで、周りからは母子家庭並みに子育てしてると言われるほど、子育てにコミットしていました。

息子は一人っ子ということもあり、フルタイムで働くという選択肢を当時の私は考えられませんでした。

しかしながら、姉のようにキャリアウーマンになることが出来ないことにも、劣等感は常に抱いているような、中途半端な自分をあまり好きではありませんでした。

ただ、唯一人から褒められることは、親しみやすさでした。
転校が多かったことから、無意識に身についてものだと思われます。

それは仕事にも活かされました。

ネットショップは趣味程度に続けていたのですが、やはり対面でお客様の役に立ちたいという気持ちがあり、時短勤務でカフェ勤務や、カスタマーサービス(国内線予約コールセンター)、イベント運営のお仕事の経験があり、そこではお客様の本当に解決したい課題の解決、商品の提案力にはお褒めの言葉をいただくこともありました。

2020年 時代が変わる

自粛生活で将来を考える

流行病の到来。夫と私の仕事は激減。息子が大学1年生の春でした。

半年ほど家族で将来のことを話し合い、夫婦2人ともこのままこの仕事で良いのか、マンションの資産価値、義父母の介護のこと。いろいろ考え、夫の自宅付近に転居するという大きな決断をすることになりました。

自分の気持ちを優先できない私

実は夫は事務的なことが苦手な完全に職人気質。そのため、マンション購入手続きも私が一人で準備。本人が名前を書くとことだけ一緒に行くという状態でした。

もちろん、お金のこと、保険のこと、あらゆる事務手続きは私の役目でした。
そのため、マンションの理事長も私が代理人として務めた際に、修繕費の返済計画について知ることになります。
実際に管理会社と話したりする中、将来どうなるかのイメージはそこで明確になります。

転居先の販売が公になる時期に合わせて、理想より高い金額で個人売買が成立。購入手続き、引っ越し準備をほとんど1人で私が片付けました。

こんなに早く決まってしまうんだ。どうして私は自分を大事に出来ないんだ。

私は途中から、手放すのが嫌だと体が反応していたのです。

もう時は遅く。契約破棄をする期間は過ぎていました。

皮肉なことに、私が今までで一番高く売った商品が愛した思い出の家でした。

転居後、原因不明の体調不良


病院を回っても答えは出ず、

体はつらい。
でも、それ以上に苦しかったのは、

「私が弱いだけなんじゃないか」
そうやって、自分を責め続けていたことでした。


ある朝、何もできなくなった

限界は、静かに、でも確実にやってきました。

起き上がれない。
体が言うことをきかない。
涙が止まらない。

笑えない。

今振り返ると、
あれは引っ越し鬱でした。

外にも怖くて出ることができなくなってしまったのです。


家を出たのは、終わらせるためじゃなかった

そして私は、体が回復するまで、一人暮らしをすることを決め、家を出ました。

逃げたと思われても仕方ない選択だったと思います。
実際、私自身もそう感じていました。

でも今なら、違う言葉で言えます。

あれは
壊れた私が、もう一度生き直すための時間でした。

離れたからこそ、見えたことがありました。
休んだからこそ、気づけたことがありました。

「私がいなくても家族は回る」
そして
「私がいなければ、私の人生は回らない」

その事実を、初めて自分に許せた時間でした。


半年の一人暮らしを終えて

私は体調を取り戻し、家族のもとへ戻っています。

あの出来事がなければ、
私は今も「我慢が美徳」だと思い込み、
静かに自分を消し続けていたと思います。

あの朝、動けなくなった私がいたから、
今の私は、ちゃんと自分の声を聞ける。

だから、あれは失敗じゃない。
人生の中で、必要な通過点でした。

子供が大学卒業:キャリアのコンプレックス解消へ新たな挑戦

自分の人生の責任を取る

息子の就職が決まり、さあ、もうやることはやった。自分のために残りの人生を生きよう!

転居後、今までと環境が変わり、色々と断捨離も済んだので、私は働き方についても真剣に考えていました。

そして、今までの自分の考え方だと、自分を犠牲にしたとしても周りを幸せに出来ないことにようやく気がつき、まずは自分が自立してやりがいのある仕事をし、充実することで周りに居る人を幸せに出来るんだとわかりました。

もし、これを読んでいる方で、私のように自己肯定感が低いため、自己犠牲をしがちな方が居たら、まずは自分を幸せにしてあげて欲しいと強く願います!

そして、私は自分に起きた出来事をSNSで発信してみることにしました。

はじめはこれからママになる女性に向けて。

その後、この思いをどう広げたら良いか?どういうサービスを作れるのか?

そんな風に思うようになりました。

Webのお仕事への興味

私がWebのお仕事に興味を持ち始めた頃、丁度ChatGPTの出現により、AIの使い方をインスタで発信する方のアカウントを目にすることが多くなり、これからの働き方を考えていた私は、時給やお給料だけでいいのかな?と思うようになりました。

調べていくうちに、インスタが仕事になることを知り、毎日YouTubeを見て、オンラインサロンに入会。情報商材を買い漁り、明らかにクオリティが違うと感じたアカウントを発見、そのアカウントは女性の働き方をシームレスにするSNSスクールのアカウントでした。

SNSスクールへ入会を即決

それからは、SNSスクールの90日間学び続けるCampに入り、インスタグラム、デザイン、マーケティングなどリモートワークを達成するまでの学習を、共に始めた仲間と1週間に1度Zoomでミーティング、日報を提出するという生活が始まりました。

自身のインスタは見る専で、それこそスキル0からの参加。初めはCanvaって何?という状態でした。

Campメンバーには、異業種の方、フェーズが違う方も集まり、共に励まし合い、刺激し合える環境で、大人になってから学ぶって楽しい!!と夢中で走り抜けました。

因みに私が入会したスクールの詳細はこちらです!

公式LINEに登録すると、紹介動画が届きます。

自己肯定感が上がり始める

在宅ワークで収入が増える

ありがたいことに、インスタ開設1ヶ月で案件を2件獲得し、SNSスクールの中での公募にも採用が決まりました。

学びながら働くという激務と小さな挫折、失敗、成功を繰り返し、現在も収入の柱が複数ある状態を続けられています。
SNSスクールで学べることは。最新情報のインプット、入会しなければ一生お話を聞くことは出来ないであろう、有名な講師陣や外部講師のセミナーはもちろん、プロによる壁打ち、AI活用、マーケティング、デザイン、ライティングスキルなど様々なスキルを習得することが出来ます。

その環境を使い倒して、どんどん自分の市場価値を上げていくことが出来るようになったのです。

自己投資のハードルが下がる

以前の私は自分のために時間とお金を使うことに許可を出せませんでした。
現在の私は、常に学び続けるために、自己投資し、自分のために時間とお金を使うことを躊躇せずに決めることが出来ています。パソコンとスマホがあれば自宅でも、出先でも出来る働き方を実現しました。

WEBマーケターへの挑戦

スクールに入って5ヶ月目に、1年間のCampがスタートしました。
それは、すでにトップマーケターとして億超え収入を達成されている方から学ぶCamp +WEBマーケターコースです。

私は更なる学びへ挑戦することを決意しました。

自己理解への興味

自分の提供するサービスへもっと質を上げたいと新たな学びへ自己投資。

個性強み講座にて、個性強み、潜在意識、自己理解の統合を学ぶ。(ストレングスファインダー、ヒューマンデザイン、動物占い、算命学、数秘、手相などを網羅し、自身の強みであるヒアリングスキルを用いた独自のセッションを提供開始)

BeautyJapanTokyoファイナリストとしての活動

2025年〜BeautyJapanTokyoファイナリストとしての活動開始。ラジオ、TV出演、セミナー講師、表敬訪問などを経験。8/10銀座BASE GRANBELLにて東京大会出場。

ミスコン参加4ヶ月の間、スピーチ、プレゼン、ファッション、ウォーキングなどのレッスンを受講。

異なる事業をしている女性たちとの出会いは私に刺激をくれました。一生の宝だと感じています。

今後の活動なども、各SNSで投稿していきたいと思っております。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。